新潟県中越地震災害派遣報告書レポート@
道路の陥没
平成16年10月23日に新潟県中越地震が発生しました。
中越地震は甚大な被害を新潟県にもたらしました。
静内町社会福祉協議会では、職員を現地に派遣し、被災者の
ニーズと災害ボランティアの現状を調べ、災害時のボランティ
アコーディネーターや自治会での対応などの参考にしました。


1.派遣の目的
派遣の計画当初はボランティアコーディネーター不足の状況下
を予想していたが、現状が全く異なることが分かった。
此度の災害は、阪神淡路大震災の例とはまた異なり、余震が続
き、ボランティア活動が大きく制限され、ボランティアセンタ
ーでは、市民による復興を重点におく方向性が示されていると
聞く。
よって、北海道で同様の大規模地震が発生したことを想定し、
市民による復興のプロセスを視察することで、北海道の災害救
援ボランティアのあり方を模索する。
また、各地域を廻ることで、ネットワーク作りに努めると共に
、災害救援ボランティアセンターの具体的な運営ノウハウを学
ぶことを目的とした。
2.派遣者氏名
          馬川友和(静内町社会福祉協議会 地域福祉係長)
3.派遣期間
          平成16年11月11日(木)〜17日(水)(7日間)
4.訪問した市町村
           長岡市、小千谷市、川口町、小国町、十日町市、柏崎市
       、津南町、堀之内町(8市町村)
           ※柏崎市に拠点を置き視察する
5.訪問したボランティアセンター
            長岡市災害VC、小千谷市災害VC、小国町災害VC、
        十日町市災害VC、中越災害VC
            ※被害状況が大きかった川口町災害VCについては、現
          地の状況を配慮し訪問せず
6.報告事項
〜長岡市ボランティアセンターの組織形態〜
    11月11日、新潟到着後、レンタカーを借り、最初に向かったの
   が長岡市であった。
    北海道出身の長岡市在住の方に聞くところによると、「長岡市
   は北海道で言えば、旭川市のようなもの」との説明を受けた。
   人口規模も含めて、街並みも何となく似ているような気がする。
    新潟に向かう飛行機の機内で偶然に道社協の前田氏に会い、長
  岡市のボランティアセンター支援に向かうところであると言う
   。
    我々の最初の訪問先も長岡市であったので、現地まで共に行動
  することとした。
    長岡市ボランティアセンターに到着し、道社協より派遣され、
   先に現地入りしていた五十嵐氏にセンターの概要の説明を受
   ける。
    災害支援ボランティアセンターの運営に関わったことのない私
   にとって、初めて見るものばかりであった。
    具体的な組織体系・役割については、下記のとおりである。
    この組織体系を見る限りにおいては、有珠山噴火災害のボラン
   ティアセンターの組織体系と類似しているが、ボランティアコ
   ーディネーションの機能分化が特化した形態となっている印象
   を受けた。
     特に、地図作成班に至っては専用機器を導入しており、即時性
   が求められる業務であることが認識できた。

 【長岡市災害ボランティアセンターの概要】
組織名 役   割
本部長 全体総括(社協事務局長)
総務班 経理、情報、企画
ボランティア班 受付、報告相談
ニーズ班 応援が欲しい方の受付
マッチング班 ボランティアとニーズをつなげる
資材班 調達と管理
活動報告班 現地で活動を終えたボランティアから結果を聞く
地図作成班 ニーズ班での受付書類に現地地図を添付する
企画班 ニーズ班で受けた特技ボランティア等の申し出と現地の調整
山古志班 全村長岡市に避難している山古志村の方々への支援

〜センター建物について〜
ボランティアセンター
また、センター建物の設置状況については、
長岡市社会福祉センター(4階建て)の大部
分を使用して、ボランティアセンターの運営
にあたっており、都市部ならではの運営方法
であるという印象を受けた。
静内町で災害ボランティアセンターを立ち上
げる際には、専用のボランティアセンタース
ペースを中心として展開することが予想され
、被害状況にもよるが、人口規模から、ボラ
ンティアの受付や休息、ミーティングのスペ
ース等、充分に機能させることができると考
えている。
〜運営ノウハウの具体的な認識を!〜
ボランティアセンター
災害ボランティアセンターの運営ノウハウにつて、
ニーズ班を担当している方からお話を伺うことが
できた。
ニーズ班の業務内容がマニュアル化され、10
ページほどの冊子にまとまっている。
これらのマニュアルは事前に準備されていた
ものではなく、福井県の社協職員がノウハウ
を提供し、長岡市にマッチングする形に作り
変えたものであった。
私も該当する事項であるが、北海道の大多数
の社協職員が“災害救援ボランティアセンタ
ーの具体的な業務内容”を認識しておらず、
災害発生時においても、初動が遅れてしまう
ことは否めない現状であると感じている。
市民が主体的に参画する観点から、“災害復
興”と“まちづくり”は類似する事項が多々
あり、日々の社協活動の展開も包括すると、
事前準備も含めた災害救援に係る社会福祉協
議会独自の取り組みは、市民からの信頼を創
りあげていく意味でも必要である。
また、災害発生時においては、近隣市町村社
協職員の支援も必要になってくることから、
そのネットワーク化も急務であると感じた。
社協が展開する防災に関する取り組みは、災
害時だけではなく、日々の社協活動(例えば
小地域ネットワーク事業における声かけ訪問
等)にも有効に生かせるというメリットを明
確にし、ノウハウ提供していくことで、社協
同士のネットワークを強めることが必要であ
る。
よって、各市町村社協に1名は、最低でも災
害救援ボランティアセンターの運営のイメー
ジを認識している職員の養成が必要であると
感じている。
〜市民として自分にできることを…〜
腕章
現地で活動するボランティアはガムテープに油
性マジックで自分の名前を書き、左腕上腕部に
貼っている。これがIDの代わりとなっており
、工夫されていると感じた。
その中で、目を止まったのが20代と思われる
女性と名札であった。「長岡市民○○(名前)
」と記入されている。
一般的なイメージとして、ボランティア活動者
と言えば、市外や県外をイメージしてしまうが
、全くこのイメージは当てはまらないことが分
かった。
つい気になってしまい、声をかけたところ、彼
女はこう語ってくれた。
「ここに住んでいるのは私たちです。外から応
援に駆けつけてくれたボランティアの皆さんも
ずっと、この街に居れる訳ではないので、今、
仕事もちょうどしていないことですし、市民と
して自分にできることはないかと思って、ボラ
ンティアをしています」
彼女の語ることは正に事実である。
その街でこれからの生活を営んでいく主体は他
でもない市民であり、市民による復興を目指す
ことが理想であり、また、今後の街づくりにも
大きく活かされてくる。
以前、全国ボランティア研究集会で「市民一人
ひとりが市長のような気持ちで街づくりを考え
ることが大事」と話していたある街づくりNP
Oの代表者の報告を思い出した。
市民の主体的な活動こそが、地域の福祉力を高
め、災害に強い街づくりを成し遂げていくプロ
セスがここにはあると感じさせられた。
〜まさか、自分が…〜
長岡市入りした晩に、食事をしながら現地の方
々とお話をする機会にめぐり合えた。
被災後1週間の避難所生活を経験した男性(40
代)は下記のように語っていた。
被災後1週間避難所生活をした。

おにぎりをもらって食すも、暖かいものが食べ
たかった。
震災直後は、とにかく食べるものがないので、
近隣で野菜を持ち寄るなどして互いに助け合っ
た。

夜間は地震が起こるかもしれないので、家で寝
ることができず、車の中で寝ていた。

その状況を見て、近隣住民は車中泊している人
たちに布団や毛布を配る状況もあった。

震災直後、公衆電話に行列ができ、もちろん、
ライフライン停止。
ガスが止まっているため、3日間お風呂は入れ
なく、電気ポットでお湯を交わし、浴槽にため
入浴をする。

新潟まで(車で1時間半の距離)温泉に行くこ
とで入浴することができた。
地震発生直後の食事については、役所にて“の
りまき”をもらう。
一人一切れという少ないもので不満を覚えた。
今まで、災害は人事だったが、実際に被災し、
人事と思わなくなった。
活動しているボランティアに興味をもつように
なった。
ありがたみを感じる。
夜間の地震には不安を拭えない。

上記の内容を読む限りにおいては、その語り口調は悲壮感
漂うものであることがイメージするかもしれないが、決し
てそうではなく、笑顔を見せながら話をしてくれた。
災害ボランティアの支援を受けた被災者のエピソードとし
て、「ボランティアに来てくれる人たちに、元気な姿を見
せると拍子抜けされたり、がっかりされることがあって…。
何とも言えない気分になる」というものがある。
確かに、被災するということ事態は大変なことであり、苦
労も多いことは確かであるが、被災者=何もできない」で
はないことを認識しなければならない。
制限された状況の中で自助活動を展開し、自分達にできる
ことはしっかりと行っている。
笑顔の裏には、一人の生活者として災害に負けていない自
負があるのだと感じた。
〜災害支援ボランティアに関する一考察@〜
あるボランティアセンター訪問時に、駐車場を管理してい
る青年がおり、私の身分を明かすと「僕も北海道から来て
いるんです」と笑顔で語っていた。
彼は大学生であるとのこと。
私たちが訪問した際、県外からのボランティアの受入れは
していない状況であり、縮小傾向に移行する段階であるこ
とを事前に知っていたので以外なことであった。
災害救援ボランティアとして、活動する人々には少なから
ず物見遊山で来る者も少なくないと聞く。
この青年と会って、正直、「北海道から旅費と滞在費をか
けて、している活動内容が駐車場の管理をしているのか…
」と否定的な感情を抱いてしまった。
これは、あくまでも私の個人的な見解であることを踏まえ
ていただきたいが、災害発生直後で圧倒的にボランティア
が不足している状況下、ないしは、介護士、土建関係
等、特殊技術があり、必要とされるそれらの特殊技術を生
かした活動をしているのであれば、旅費と滞在費をかけて
、活動をしている意味が大きいと思うが、そうではないケ
ースについて、今一度考える必要があると考える。
実際の事例として、駆け込みボランティアに対応すること
が災害ボランティアセンター業務をさらに多忙にさせてい
る現状もある。
駐車場の管理をしていた青年のケースを考察すると、現地
でボランティアをしたいという気持ちが起こった際のプロ
セスで、誰か、ないしはどこかの機関に相談したのかが疑
問である。
紋別市の事例を参考にすると、新潟県での災害発生直後、
ボランティアセンターとしてとった初動は新聞報道依頼で
あったという。
「新潟県中越地震災害に関するボランティアや救援物資の
送付については、一度、ボランティアセンターにご相談く
ださい」この取り組みは、情報が錯綜している状況下にお
いて、過去の災害の事例を踏まえ、情報を整理し、市町村
レベルで災害救援ボランティアをしたいというニーズや物
資を送りたいというニーズ調整を行うものであった。
この取り組みのメリットは、全国から問合せのあること災
害ボランティア対策本部の負担を軽減させる共に、遠隔地
から無駄のない効率的な支援を行うことができることがあ
げられる。
もし、駐車場の管理をしていた青年の住んでいる街の社協
がこのような取り組みをしていれば、彼なりに考え、仲間
に呼びかけ募金活動を展開するなど、違った方向性に向い
ていたのかもしれない。
つまり、災害発生時においては、現地の社協はもちろん、
現地以外の社協についても、各地でコーディネーションを
展開することによって、後方支援の一つのあり方を展開で
きるのではないだろうか。
現地の社協以外も「他人事でない」という意識をもち、体
系的にそれらの統制ができるようなシステムが災害救援ボ
ランティアのあり方を更により良い方向に転換させていく
ものであると感じている。
〜十日町市にて〜
十日町災害ボランティアセンター
新潟訪問二日目。十日町市災害ボランティアセンターを訪問
する。
現地のノウハウと北海道で展開できることを模索したいとい
う趣旨を伝えたところ、十日町市社協事務局長の保坂氏が快
く面談に応じてくれる。
面談結果は下記のとおり。

センター立ち上げの際は、外部のネットワークの人たち
200名が支援に来てくれた。

県外ボランティアがほぼ9割であり、長野県側からの道

路がそのまま残っていることが、ボランティアが入って
きやすい状況だったことが理由であった。

状況もある程度落ち着いてきており、明日のセンターを
移転される予定で、できれば縮小させたいと考えている


ボランティアの役割の変化について、災害発生当初は、
物資の配達・仕分け、ニーズ調査が主であり、10月31日
に避難勧告解除後、室内清掃や障子貼りが主になる。


また、再ニーズ調査を10日後に行っている。

家屋の倒壊危険度を示す指標として、赤、黄、青、白の
順に危険とされている調査結果の張り紙がそれぞれの家
屋に貼られている状況である。

本来であれば、赤紙の貼ってある家屋への支援はリスク
マネジメントの視点からボランティアを派遣できないと
いうことが一般的であるが、赤紙を貼ってある家屋です
でに生活を始めている被災者も多くおり、危険を感じた
際には避難するという絶対条件のもと、それぞれの家屋
にボランティアを派遣した。

現在の方向性としては、市内のボランティアにより運営
していきたいが、元々ボランティアが活発ではない地域
性があり、今後の課題とされている。
また、マッチングの作業が困難を極め、地元の高齢者ボ
ランティアの支援を得てナビゲーションボランティアを
募るべきだったと反省している。
 
十日町市災害ボランティアセンターの特徴として、組織体系
のきめ細かさが上げられる。
“ニーズ受付班”、“ボランティア受付班”、“マッチング
班”、“地図班”、“オリエンテーション班”、“物資班”
、“出発・到着班”、“介護・福祉ニーズ班”、“ヒアリン
グ班”、“情報・広報班”、“総務班”の11班編成である。
細分化されたチームを統括することが大変である印象を受け
たが、事務所に混乱している様子はなかった。
これだけ細分化されている背景には、外部から支援にきたネ
ットワークの人たちの力が強いようにうかがえた。
〜災害をプラスの方向に向けていく〜
崩壊した民家の基礎
十日町市でのちょっとしたエピソードである。
保坂事務局長に「街の様子を見ていってください。特に墓地の
あたりが被害が大きいですから…」と促され、徒歩で街並みを
見ることにした。
車中から見る街並みとは異なり、大きなものから、小さなもの
まで、至る所に災害の傷跡が見てとれる。
地図をもらったものの、土地勘がなく、地図を片手にウロウロ
していたところ、「どこに行きたいんだい?」と、車道をはさ
んで向う側の歩道から、40代と思われる男性に声をかけられる。
その男性は、わざわざ、こちら側に渡ってきて親切に目的地ま
での道のりを教えてくれた。
多分、その男性から見ると、我々はボランティア活動者に見え
たのだろう。
その男性は我々以外にも、そのような形で声をかけているのだ
と思う。
その男性のとった行動は些細なことかもしれないが、私はこの
ことに、災害の経験をプラスの方向に変えていく可能性を感じ
た。
いわゆるコミュニティの再生である。
他人事には無関心の風潮が強い現代において、道を尋ねられれ
ば答えるものの、自ら赤の他人に気軽に声をかける人はどれだ
けいるだろうか。
現在のコミュニティの課題として、コミュニケーション不足が
あげられるが、ボランティアという媒体を通して、確実のその
地域は“地域のコミュニケーション”が増加しているものと考
えられる。
この積み重ねが市民の絆を強め、街づくりに生かされるのでは
ないだろうか。
〜小千谷市にて〜
小千谷市ボランティアセンター
十日町市訪問後、そのまま小千谷市を赴く。
十日町市よりも、被害程度も大きく、ボランティアセンターに訪
問するも、業務が多くインタビューは困難な状況であった
小千谷市災害ボランティアセンターでは、無料温泉ツアーを実施
している様子。
長野県より、移動図書館も来ている。
「がんばろって、おぢや」をスローガンにしており、災害ボラン
ティアセンターから徒歩1分の総合体育館が避難所になっている。
その避難所では、全面的に自衛隊が、炊き出し、風呂、簡易トイ
レ等の支援を行っている。
避難所のすぐそばでテント生活をしながら、ボランティアしてい
る青年に話を聴くことができた。
この青年は福井県より来ており、本日で活動3日目であるとのこ
と。
主に家の後片付けの支援に入っている。
聞くところによると、介護、看護面は女性、家屋の清掃等は男性
が担っており、集まっている8割くらいのボランティアが男性で
あるとのこと。
〜災害支援ボランティアに関する一考察A〜
小千谷でのボランティアをしていた中年女性のエピソードである。
被災者と思われる男性が炊き出しの様子を見て、「何を作ってい
るんだい?」と声をかけると「見て分からないのかい。日本人は
目で見て聞いて食べないと分からないのかい」といった言葉をそ
の男性に投げかけていた。
明らかに人を見下した言い方まわしである。
また、2トントラックに半分ほど野菜が積み込まれており、「こ
の野菜は私のネットワークの関係で、北海道の農家から無償でも
らったもの」と自慢げに話し、災害支援に関する知識もあるよう
に見受けられた。
たぶん、他の被災地でも活動している実績があるのであろう。
このエピソードを紹介した意味は、改めて「ボランティアと被災
者の関係性」を考え直す必要があると感じたからである。
以前、私は中学校から講師を依頼され、中学三年生と災害に関す
る学習をしたときに、少し意地悪な質問を生徒に投げかけてみた。
「被災者とボランティアはどっちが偉いの?」もちろん、生徒は
困惑した表情をしている。
「助けてあげているから、ボランティアの方が偉い…」「被災者
の方が偉いじゃないのかなぁ…」どの答えも自信なさげである。
その中で男子生徒の一人が自信満々でこう答えた。
「そんなこと考えていること事態意味がないよ。
だって、する側、される側っていう違いはあるけど、同じ人間じ
ゃないか。
上か下かなんて、なくて平等な関係に決まってるじゃん」
私が小千谷市での中年女性の発言彼女の発言を聞いたときの印象
がまさに、「してあげている」以外の何者でもなかった。
ボランティアをする動機は人それぞれ多様であっても構わない。
しかしながら、「災害前に日常生活を取り戻す」ことを目的とし
て活動するボランティア、抱えている課題を共に解決していくボ
ランティアが、被災者の気持ちをくみ、パートナーとして存在で
きないのであれば、彼らの活動の意味はどこに行ってしまうので
あろうか。
残念ながら、ちょっとした配慮と最低限のマナーの必要性をひしひしと
缶自訴せられる現実が現地にはあった。

〜小さな町のボランティアセンター(小国町)〜
新潟訪問で私が最も印象に残った町が小国町である。
それは、柔軟なコーディネーションを展開している小国町社協の
小林事務局長と出会うことができたからである。
面談結果は下記のとおり。
県外ボランティアが半数であるが、現在、Vの受け入れはして
いない。
個人宅ニーズがない状況。

事前の連絡もなく、直接くるボランティアもいる。
ボランティアの活動内容としては、炊き出しの手伝い、避難所
のサポート、行政活動補助。
ボランティアによる炊き出しは、3回のみ。
10月30日は最初。
資金繰りが厳しく継続が困難。
食材費についてはVCで負担。

2000世帯のうち、20%が赤紙。全壊半壊は多くない。
ボランティアも被災者だけど、高齢者の方々を励ますためにも、
いきいきサロンを再開したい。

ボランティアの募集をかけると、ボランティア過多になってしま
うので、募集の方法に調整が必要。
近隣市町村ボランティアセンターの連携が大切。

ボランティアの流用が可能。

センター立ち上げのときから、コーディネーションすることが必
要。

今後のボランティアの必要性について、仮設住宅への転居、高齢
者のメンタル面のボランティアが必要だと感じている。


昼間に避難所に行っても、お年寄りがほとんど。
若い世代は、家の片付けに行っていて、夕方にならないと戻らな
い。
避難所から働きに行っている人もいる。
生活福祉資金は県社協が対応。
水害とは異なり、当面の生活費には困っている状況ではない。

家屋での就寝には不安感があり、車中泊をしている人も多い。
災害発生当初、農道で車を並べて家の野菜をもちより、炊き出し
をしていた。

集落の関係が強く、いきいきサロン等で関わっているVが中心と
なり、高齢者の安否確認を行った。

継続的に炊き出しがあるとありがたい。
被害の大きい川口、小千谷に、炊き出しが行ってしまう。

特養に入所定員以上になる。職員の不足が生じる。今は、現状に
戻りつつある。


小国町ではTML(トレーラー・メーリング・リスト)という
キャンピングトレーラーの
所有者の全国ネットワークが炊き出し等で定期的に支援に入っ
ていた。
災害時の救援の様子 
災害時の救援の様子
私の勤務先である静内町社協の事務局長もそのメンバーの一人で
あり、ネットワークがあったため、炊き出しのボランティアとし
て、活動させてもらうこととなった。
小国町社協とTMLが結びついたきっかけが新潟県の災害ボラン
ティア対策本部からの紹介であったという。
小国町災害ボランティアセンターでは当時混乱していたことから
、名前も知らない団体も受け入れに関して、悩んだものの、“彼
らができること”を知り、積極的な支援を要請したという。
小林事務局長のしなやかさとしたたかさが小国町という小さな町
で様々な展開を見せることとなった。
〜使命感につき動かされて…〜
災害後の活動
先ほど紹介したTMLのメンバーである鈴木さん(40代男性)
の職業はキャンピングトレーラーを改造した移動式のラーメン屋
である。
彼が避難所でラーメンの配布をするので、私たちは彼の活動を手
伝うという形でボランティアをして、避難所に行った。
「阪神淡路大震災のときに被災者の人たちが一番食べたかったも
のがラーメンだったんだって」と彼は語りだす。
現在の自分の職業と技術。
移動式ラーメン店という珍しい事業を営んでいる彼の決断は早か
った。
「自分にしかできないだろうなぁと思って…」正に今、自分にで
きることと、現地で必要とされているものを的確にマッチングし
た結果であった。
震災から3週間以上たった今回でも、暖かいものを食べたのは久
しぶりだといった声も聞かれた。
彼は人とのコミュニケーションを図ることでボランティアも勇気
付けられ励まされ頑張れると言う。
自分にしかできないこと、ボランティアとしてやってはいけない
ことをわきまえ活動していた。
例えば、ラーメンも本当は小国にある飲食店が営業しているのだ
から、しないほうがいいと言ったことや、肘掛のいすを普段は使
用するのだが、被災者から見たら偉そうに思われるかもしれない
ので使用しないといった「配慮」や小さな「気遣い」もあった。
また、継続的な活動をするために仮設住宅ができるまでの間、自
分の仕事の合間を見つけて炊き出しを行っていくということだ
若いお母さんに「今度は何が食べたい」と優しい笑顔で話しかけ
る。
いつもラーメンではなく、その地域の事情に応じて、高齢者が多
い小国町で高齢者の生活に合わせたメニューの考案などにも積極
的であり、謙虚であった。
避難所では小さなコミュニティができていたこと、また鈴木さん
と被災者との継続的な活動によって生まれたコミュニケーション
も見られ、そこでの何気ない会話が震災という被害にも負けず一
緒にがんばるんだとお互いに励ますことで強くなり、元気になる。
それは現場で本来ある人の心の温かさや優しさ、人間味を感じる
ことができたからそう言えるのだと思う。
移動しながらたくさんの人に炊き出しをしてくれという要望も他
市町からあったが、1日に数回も移動することはトレーラーでは
非常に困難であること、一定の人と関わりを長く持ちたいことな
どから、一箇所で炊き出しを行いたいという要望があったようだ。
地域性とマッチングしたせいか、小国町で一箇所での炊き出しが
実現し、さらに継続して行われることが可能となった。
彼は災害ボランティア研修会やそれらの取り組みに関わってきた
経緯は一切ない。
しかしながら、当たり前の感覚を当たり前に持ち合わせている。
現地で活動するボランティアとして求められる配慮と心遣いを心から感
じさせられた出会いであった。


新潟県中越地震災害派遣報告書レポートAアウトライン

〜組織的な活動を展開したい人たちの想いとVCに求めるもの〜
〜ボランティアコーディネーションの実際〜
〜避難所生活のお世話人〜
〜災害VCの連携に関する一考察〜
〜報道における倫理観〜
〜心のケアって?〜
〜北海道における具体的な展開〜
〜コーディネーターの使命〜

社協活動  レポートA